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ウォーデン (USS Worden, DD-352) は、アメリカ海軍の駆逐艦。ファラガット級駆逐艦の1隻。艦名は南北戦争時の1862年3月9日に起こったハンプトン・ローズ海戦で、装甲艦モニターの艦長として活躍した少将にちなむ。その名を持つ艦としては3隻目。 ==艦歴== ===大戦前=== ウォーデンはピュージェット・サウンド海軍造船所で1932年12月29日に起工し、1934年10月27日に航空部隊司令官少将の夫人であるカトリーナ・L・ハリガンによって進水。艦長ロバート・E・カー中佐の指揮下1935年1月15日に就役する。就役後、ウォーデンは1935年4月1日にピュージェット湾を出港し、整調航海でサンディエゴに向かう。以後、カリフォルニア、メキシコ沿岸、グアテマラの、コスタリカのプンタレナスを巡航する。5月6日にはパナマ運河を通過し、5月17日にワシントンD.C.に到着して海軍作戦副部長の少将や議会関係者の観閲を受け、ポトマック川をさかのぼってマウントバーノンにも赴いた。 ワシントンでの披露目を終えたウォーデンは、砲の換装のためワシントン海軍工廠に入渠し、次いで5月21日にはノーフォークへ向けて航海を行い、ノーフォーク海軍造船所で修理を受けた。メイン州ロックランドで修理後の試験が行われたが不具合が見つかったため、修理の完工は初夏となった。7月1日にノーフォーク海軍造船所を出港し、7月4日にはマサチューセッツ州ニューベッドフォードに寄港。グアンタナモ湾、パナマ運河を経て8月3日にピュージェット・サウンド海軍造船所に到着した。 整調航海後の整備を行ったあと、ウォーデンは9月19日にサンディエゴに寄港し、偵察艦隊駆逐艦部隊に編入される。艦隊音響学校の訓練艦として、アラスカのスワードやペルーのカヤオの沖で演習を行った。また、カリブ海やハワイ沖での艦隊演習に定期的に参加し、その中でのハイライトの一つが1937年秋にあった。9月中旬、ウォーデンはリマで開催されたアメリカ中央技術航空会議に関連する訪問で赴く空母レンジャー (''USS Ranger, CV-4'') を、駆逐艦ハル (''USS Hull, DD-350'') とともに護衛した。会議終了後、レンジャーは単独でバルボア、パナマ運河地帯に立ち寄り、サンディエゴに帰投した。 1939年9月1日に第二次世界大戦が勃発すると、サンディエゴでのウォーデンの日課も変化していった。戦争がポーランドで起こった5日後、海軍は中立パトロールを開始する。9月22日には、海軍作戦部の裁定で合衆国艦隊のうち、一時的にハワイに2つの重巡洋艦部隊、駆逐艦部隊の旗艦を務める軽巡洋艦、2つの駆逐隊および1隻の駆逐艦母艦を移すことを決める。同時に、空母や艦艇の整備に当たる基地部隊もハワイに配置され、これらは真珠湾を根拠とする艦隊の芽生えとなった。 ウォーデンは巡洋艦部隊司令官アドルフ・アンドリュース中将が乗る重巡洋艦インディアナポリス (''USS Indianapolis, CA-35'') に付き従い、1939年10月5日に真珠湾に向けて出港。以降の2年間、ウォーデンは定期整備で西海岸に向かう時以外は真珠湾を根拠として行動し、1940年春の艦隊演習終結後は、ウォーデンを含めた主だった艦艇はハワイに居座ることとなった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ウォーデン (DD-352)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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